白線を辿って   久永実木彦


「白線を辿って、猫のいる家ですよ」
 吉泉さんの家の場所を尋ねたわたしに、鮮やかな緑の制服を着た駅員がそう答えた。
 たとえば出窓でいつも猫が寝ている家だとか、そういう意味になるだろうか。そうでなくては外から見てわからないし、外から見てわからないのなら目印にならない。しかし、猫というのはもっと自由なものだ。かならず出窓にいるというものでもないだろう。
 わたしが疑問を呈すると、緑の制服を着た駅員は平然とした顔で「そうじゃなくて、家の前で顔を出してるんですよ」と言った。
 疑問にたいする回答が疑問をより大きくするというのは往々にしてあることだ。わたしは生来そういった現象に寛容な性質だが、吉泉さんの家に辿りつけないのは困る。しかし、もう一度質問しなおそうと頭のなかで疑問点を整理していると、後ろに並んでいた男がわたしを窓口の前から押しのけた。
 仕方なく列に並びなおすことにしたものの、今度はわたしの順番が来たところで、緑の制服を着た駅員が「本日終業」の札を窓口にかけた。わたしはあきらめて駅舎を後にし、白線を辿ることにした。
 アスファルトに引かれた白線は、商店街へ続いていた。蕎麦屋の角を曲がり、ブティックと洋菓子屋に挟まれた道を進むと、肉屋から懐かしいコロッケの香りがした。道路に沿って連なるように飾られた提灯が、暮れていく街を照らしていた。おもちゃ屋のシャッターはもう何年も閉じたままのようだった。
 提灯が途切れても、白線は続いていた。歩道橋を渡り、建設中のビルを過ぎると、閑静な住宅街へ入った。多くの家が窓を開け放していた。網戸の向こうで白いレースのカーテンが風に揺れていた。ベランダに取り付けられた衛星放送用のアンテナは、みんな同じ方角に首を傾けていた。
 そうして十分ほど歩くと、一軒の家の軒先で一匹の猫が顔を出していた。大きな丸い瞳に白線と月が映っていた。猫はわたしの顔を見て小さな声で鳴いた。しゃがみこんで耳の後ろに触れると、猫はわたしの手のひらに側頭部をこすりつけた。緑の制服を着た駅員の言ったとおり、ここは吉泉さんの家だった。わたしはキュウリをご馳走になった。新鮮で瑞々しいキュウリだった。
 わたしは翌日まで吉泉さんの家で過ごし、そして帰った。


 それから一年が経ち、わたしは再び駅舎にいた。吉泉さんの家は白線の先にある。しかし、同じように猫が軒先にいてくれるとはかぎらないのではないだろうか。わたしは窓口に並んで、緑の制服を着た駅員にあらためて尋ねてみることにした。
 待っているあいだ、ほかに並んでいるものたちの顔を見た。ひどくうろたえているものもいれば、ぼんやり宙を見つめるばかりのものもいた。みんな、わたしと同じように行くべき家の場所を聞いていた。並ばずに駅舎を出るものたちもいた。彼らは当たり前の顔をして、慣れたしぐさで改札をくぐって行った。
 やがて順番が訪れ、わたしは吉泉さんの家への道を尋ねた。緑の制服を着た駅員は不思議そうな顔をして答えた。
「猫のいる家ですよ。もうわかってるでしょう?」
 たしかにわたしはわかっていた。それでも不安だった。吉泉さんの家に辿りつけないのは困るからだ。そんなわたしの気持ちを察したのか、駅員は「大丈夫ですよ」といって笑った。わたしは駅員に礼を言って、駅舎を後にした。
 白線を辿る足は自然と早まった。猫というのはもっと自由なものであって、大丈夫か大丈夫でないかは、行ってみないとわからない。
 提灯がおもちゃ屋のシャッターを薄桃色に照らしていた。コロッケの香りは歩道橋まで漂っていた。建設中だったビルは一階に歯医者と眼医者のあるマンションになっていた。開け放された窓から、ひどく淋しげなギターの音が聴こえたような気がした。
 一軒の家の軒先で、小さな声がした。猫は去年と変わらず、わたしを待ってくれていた。耳の後ろを撫でると、手のひらに側頭部をこすりつけてきて、ごろごろと喉を鳴らした。ここは吉泉さんの家で、彼はわたしの猫だった。
 猫がわたしの膝に前足をついて、もう一度鳴いた。それは「おかえり」と言っているようだった。

(了)





久永実木彦
小説家。『七十四秒の旋律と孤独』で第8回創元SF短編賞を受賞。岡田奈々ヲタク。

素敵な企画でした。参加できて楽しかったです。